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ロックバンド・ストレイテナーが発表した新たなプロジェクトは、そのスローガンからして異様な存在感を放っている。
「核弾頭9,615発以上の楽器を世界へ」。
あまりに挑発的で、しかし同時にどこか詩的でもあるこの言葉は、音楽と平和を真正面から結びつける彼らの覚悟を端的に示している。
「9,615発以上」という具体的な数字は、現代社会になお存在する核兵器の総量を想起させる。抽象化されがちな軍備問題を、冷たい現実として突きつける数値だ。一方でストレイテナーは、その対極に「楽器」を置いた。破壊の象徴と創造の象徴を並べることで、暴力と文化、恐怖と表現の落差を際立たせている。
重要なのは、彼らがこのスローガンを単なる反戦メッセージとして消費させていない点だ。軍事や国家への直接的な糾弾ではなく、音楽という別種の力を信じる姿勢が、プロジェクト全体を貫いている。人を黙らせるための兵器ではなく、人に声を与えるための楽器を――その選択自体が、ひとつの思想表明になっている。
プロジェクトの核となるのは、国内外でのライブ活動と並行して行われる、被災地や紛争地域への楽器支援だ。楽器の寄贈にとどまらず、現地ミュージシャンとの交流やワークショップの開催を通じて、音楽に触れる機会そのものを届けていく。
ここで扱われる楽器は、単なる「物資」ではない。自分の感情を外に出し、他者と共有するための道具であり、沈黙を強いられてきた人々が再び声を持つための媒介でもある。
この取り組みの背景には、ストレイテナー自身のアーティスト観がある。現代の音楽家は、もはや娯楽を提供するだけの存在ではいられない。社会の不安や分断が可視化される時代において、表現者がその力をどこへ向けるのかが問われている。
彼らは、楽曲やライブで喚起した感情を、現実の行動へと接続する道を選んだ。その象徴が「楽器を届ける」という、極めて具体的な行為なのだ。
また、このプロジェクトは単発の慈善活動ではなく、複数の団体や自治体、非営利組織との協働によって進められている。楽器の選定や修復、輸送には専門的な知見が不可欠であり、現地の実情を踏まえた支援設計が重視されている。
一時的な寄付で終わらせず、音楽文化が根付くための土壌づくりを目指す点に、この試みの本気度が表れている。
ストレイテナーが長年楽曲の中で描いてきたのは、絶望そのものではなく、そこから立ち上がるための微かな光だ。怒りや悲しみを否定せず、それでもなお希望へと向かう感情の流れ。その姿勢は、今回のプロジェクトにも通底している。
音楽はしばしば「祈り」にたとえられるが、彼らにとって祈りとは、ただ願うことではない。音を鳴らし、人と出会い、行動を積み重ねることそのものなのだ。
もちろん、文化支援には常に慎重さが求められる。善意であっても、受け手の文化や背景を無視すれば、支援は容易に押し付けになり得る。ストレイテナーはその点を自覚し、現地のアーティストやコミュニティとの対話を重ねながら、共同で計画を練る姿勢を明確にしている。
さらに、楽器の修理や保守、教育プログラムといった持続的な仕組みづくりにも視野を広げ、「渡して終わり」にしない支援を模索している。
このプロジェクトは、ファンにとっても無関係ではない。楽器の寄付、ボランティア参加、チャリティライブへの関与など、関わり方は多様に用意されている。音楽を聴く側だった人々が、音楽を介して社会と接続される。その循環が、新たなコミュニティを生み出す可能性を秘めている。
「音楽で世界は変えられるのか」――この問いは、何度も投げかけられてきた。確かに、一本のギターが戦争を止めることはない。しかし、価値観や対話のあり方を少しずつ変えていく力が、文化に宿ることもまた事実だ。
ストレイテナーの試みは、即効性のある解決策ではなく、長い時間をかけて人の意識に作用する種を蒔く行為だと言える。
言葉や音で何を語るかだけでなく、行動として何を示すのか。
「核弾頭9,615発以上の楽器を世界へ」という逆説的な宣言は、破壊の論理に対抗する、静かで粘り強い抵抗の形だ。ストレイテナーが奏でるこの祈りが、どこまで届き、どんな連鎖を生むのか――その答えは、これからの時間の中で、音のように広がっていく。


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